賽銭のQRコード決済化について考えてみる

今年も残すところあと2ヶ月ほど。

しかし、新型コロナウイルスの感染拡大はいまだに抑制しきれておらず、そのわりにはGo toキャンペーンなどの影響で人の移動は活発になり、欧州のような再度の感染拡大を心配している人も多いと思います。

年末年始といえば、神社仏閣にとってかきいれ時。

特に神社は初詣のときに稼いでおかなければ経営がつらくなります。また、一部寺院、特に密教系の大きな寺院も「初詣は○○で」と初詣商戦での営業に余念がありません。

しかし時代はコロナ禍です。

平時ならキャッシュレス社会といっても賽銭ぐらいは現金で出すもの。

しかし、今は現金そのもの、特に小銭など持ち歩かない人が増えます。

また、現金に付着したウイルスにどれだけの感染力があるかは不明ながらも、大量に現金が集まれば、そのあがりを回収したり数えたりする神社仏閣スタッフの感染リスクは高まるでしょう。

そんなわけで、今大きい神社仏閣では賽銭をキャッシュレスで支払えるQRコードの設置が増えています。

そもそも賽銭は必要なのか?

まず賽銭とはなんでしょうか?

疑問に思ったことはありませんか?神様に何か祈願するのに金銭が必要なのかと。

拝殿の中に上がって神主さんに祝詞を上げてもらう昇殿参拝なら、神主さんに対する労働の対価を支払うのも理解できます。

でも、拝殿前でお参りするのにお金は必要ですか?

もちろん神社の経営維持のためということでなら必要でしょう。でも、宗教的な観点として神様にお金を捧げる必要はあるのでしょうか?

神社に対する供物は、本来収穫物でした。

農村ならお米や野菜、漁村なら魚介類。その土地の神様のおかげで収穫があったことを感謝して供物を捧げるわけです。

それが貨幣経済の発展とともに金銭を捧げるという形に変化していきました。

本来加護への返礼という意味だった神様への捧げものが、参拝時の金銭投与という形になったのは、神社側の経営の都合に過ぎません。

当然のことながら、賽銭の金額が多いほうがご利益のリターンも大きくなるなどということはありません。

それに、賽銭は5円がよく、10円だと「とおえん=遠縁」になるからよくないというダジャレを根拠にしたこじつけもありえません。円制度が始まったのはいつからか、5円10円が小銭になったのはいつからか考えれば分かる話です。

一方寺院の参拝での賽銭はどうでしょうか?

そもそも仏教には布施の概念はあっても賽銭という概念はありません。

寺に賽銭箱が置かれているのは、神仏習合という神道も仏教も理解していないことから生まれた俗習の影響です。

また、本来の仏教的な意味での布施は、持てるものが持たざるものに施すことであり、現在の日本での宗教側による金銭の搾取とはまったく異なります。

賽銭を投げて拝んだらご利益があるというのは仏教からかけ離れた考え方です。

つまり、純粋に宗教的な意味で考えるなら参拝時の賽銭など必要ありません。

「それでは神社が成り立たなくなってしまうではないか」と思う人は、昇殿参拝を申し込んで料金を支払えばよろしい。

QRコードを利用してまで賽銭を払う必要はない

神社に参拝に行って拝殿の前で軽く手を合わせる程度のことなら、賽銭を入れようが入れまいが個人の自由です。

賽銭を入れないのは失礼だとか言い出す人もいるでしょうが、参拝を拝殿前で軽く済ますという手抜きをしている時点で、賽銭を入れようが入れまいが十分失礼です。

なんなら「正月」を人間の都合で勝手に新暦にして、新暦1月1日の参拝を初詣だと言ってるのだって相当な失礼です。

日本以外のアジアの国々では、日常の生活では新暦を採用してはいても、宗教行事は旧暦・仏暦・イスラーム暦にのっとって行われます。

神事を人間の都合で新暦にしてしまった失礼な国は日本だけです。

賽銭を払わなければ失礼だとか、QRコードで支払うのは失礼だとか言うまえに考えるべきことはいっぱいあります。

私はQRコード決済を使ってまで賽銭を支払う必要はないと思いますね。

それで願いがかなわなかったらどうする?

5円だろうが10万円だろうが、賽銭箱に金を放り込んで拝んだら願いがかなうなんてことはないですよ。

神社にお金を落としたいなら、手抜きせずちゃんと神主さんにお祓いしてもらってください。

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